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酒と車と御朱印と

「毎日更新」心願成就へ向け飲んで走ってひたすら祈る!果たして奇跡は起きるか!

【御朱印】補陀洛寺は「竜巻寺」と呼ばれるほど災厄に遭い続けた

妙本寺に始まって大町エリアから材木座に向かって寺社をまわりましたが、いよいよ後半に入り長勝寺の次に補陀洛寺をお参りしました。

補陀洛寺は1181年に源頼朝が打倒平家を祈願するために「怪僧」文覚を開山として建てた寺院です。

 

長勝寺までは要所要所にあった案内板が姿を消しスマホのGPS機能を頼りに何とかたどり着きましたが、ここが本当に寺院なのか何度も確認しました。

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よく見ると左側に源頼朝の祈願所であることを示す石柱が建っています。

文覚は頼朝のブレーン的な存在の僧として知られています。もともとは武士でしたが袈裟御前という既婚女性に恋をしてしまい、夫を殺そうとして屋敷に侵入するものの誤って袈裟御前を殺してしまいます。彼女の菩提を弔うために出家した文覚は各地で荒行を重ねて京都に帰ってきましたが、この時に神護寺への勧進を強訴したことで後白河法皇の怒りを買って伊豆に流されてしまいました。しかしここで平治の乱で敗れて配流されていた源頼朝と出会うことになります。

文覚は頼朝に天下の情勢を説明し、打倒平家のために挙兵することを説きました。話の最中に大きな包みからドクロを取り出し、これは頼朝の父である義朝の遺骨だと述べた逸話も残っています。これにより挙兵を決意した頼朝は最終的に平家を打倒して天下を統一し、それに伴い文覚は幕府の要人として大きな影響力を持つことになるのです。

 

創建当初の補陀洛寺は七堂伽藍を構えた大寺院でしたが、度重なる火災や竜巻の被害にあい本堂を残すのみとなり、別名「竜巻寺」とまで呼ばれています。その唯一残った本堂も関東大震災で倒壊し、現在の建物は翌年再建されたものです。

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「補陀洛(ふだらく)」とは梵語のボータラカを音写したもので観世音菩薩の浄土を示す言葉です。本尊は平安末期の作である十一面観世音菩薩像で、他にも多くの仏像が安置されていますが、これまで何度となくあった火災や竜巻にも焼けずに残りました。

 

境内には「市瀬正毅先生を偲ぶ」という石碑がありました。

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1949年に湘南高校夏の甲子園に初出場初優勝の快挙を成し遂げた際の野球部長だった方のようです。湘南高校と言えば横浜翠嵐高校、希望が丘高校と並んで神奈川の県立三大名門校と呼ばれるほどの進学校ですが、そのような高校の野球部が甲子園に出場してしかも優勝するなど今後は二度とないでしょう。

ちなみに現在の東大野球部のエースでプロからも注目されている宮台投手も湘南高校出身です。

 

御朱印所は本堂を右手に進み、突き当りを左に曲がった奥にあります。

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伝統を感じさせられる御朱印を頂きました。

頼朝の挙兵から天下統一により成り上がった文覚の運命は頼朝の死により急転し、朝廷内の派閥洗いに巻き込まれて佐渡に流罪となります。赦免されて京都に戻りますが今度は後鳥羽天皇を批判したことが謀反とみなされ配流先の対馬に向かう途中で命を落としました。何度も火災や竜巻の被害に遭った補陀洛寺の運命とどうしても重なってしまいます。

 

◆材木座エリアの入り口に位置する長勝寺の記事

minamimachida0706.hatenablog.com

 ◆鎌倉四大寺院の一つである材木座の光明寺の記事

minamimachida0706.hatenablog.com

最後までお読みいただきありがとうございます。