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酒と車と御朱印と

「毎日更新」心願成就へ向け飲んで走ってひたすら祈る!果たして奇跡は起きるか!

【御朱印】鎌倉宮にはガイドブックに必ず載っている「撫で身代わり」がある

瑞泉寺のお参りを終えた後、鎌倉宮へ向かいました。
鎌倉宮後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良親王を祀るために明治天皇により創建された神社です。天皇が自ら創建した神社というのは皇室の長い歴史の中でもこの鎌倉宮だけです。


護良親王は6歳の時天台宗の三門跡の一つである梶井門跡三千院に入院し、その後2度にわたり天台座主になりました。しかし父である後醍醐天皇鎌倉幕府に対する討幕運動を開始すると自らも還俗して合流します。
楠木正成らとともに各地で鎌倉幕府軍と戦い、また討幕を促す令旨を各地に送ることにより足利高氏(当時)、新田義貞らを味方に引き入れました。


鎌倉幕府討幕後に開始された建武の新政護良親王征夷大将軍に任じられます。しかしその後討幕の功労者であった足利尊氏や父である後醍醐天皇とも反目したと言われ、帝位簒奪のうわさに激怒した後醍醐天皇は清涼殿での集いに護良親王を呼び出し、参内したところを拘束してしまいました。
征夷大将軍の職を解かれ鎌倉に流された護良親王は尊氏の弟の直義の管理下に置かれますが、鎌倉幕府最後の執権北条高時の遺児である時行に敗れた直義が敗走する際に殺害されてしまいます。


それから500年以上経った明治2年に明治天皇護良親王終焉の地に神社造営の勅命を発し、自ら鎌倉宮と名付けられました。徳川幕府という武家政権から明治維新により政権を取り戻した明治天皇ですから、同様に武家政権からの天皇親政を実現した建武の新政護良親王に思いを寄せたことでしょう。


鶴岡八幡宮の前から東に延びる金沢街道を「岐れ路」の交差点で斜め左方向に曲がると正面にこの鳥居が遠望できます。

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拝殿手前の厄割石です。杯に大きく息を吹きかけ、石に向かって投げて割ることで体の悪いものを祓います。

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拝殿です。

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拝殿の正面には巨大な獅子頭が置かれています。護良親王が戦いの際、兜に獅子頭のお守りを忍ばせて無事を祈った故事に由来しています。

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鎌倉のガイドブックに必ず載っている「撫で身代わり」です。ここにあったのかと思いました。

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1333年に護良親王が吉野城に籠って幕府軍と戦いましたが、落城に際して親王の鎧を纏って身代わりとして戦い、敵を食い止めて親王が落ち延びる時間をかせいだ村上義光の像です。現在では自らの身体の悪い部分と同じ箇所をさするように撫でると回復するというご利益があると言われています。


敷地内には護良親王が幽閉されていたという土牢の跡もあり、拝観料を払えば見ることもできます。実際には建物の中に幽閉されていたという説もあって真偽は定かではありません。

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武士以上に武士らしかったという護良親王のイメージとはかなり異なる繊細な御朱印です。

 

 ◆護良親王と同じく後醍醐天皇に尽くした日野俊基の記事

minamimachida0706.hatenablog.com

◆併せてお参りした瑞泉寺の記事

 

minamimachida0706.hatenablog.com

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。