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酒と車と御朱印と

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【御朱印】清水観音堂で「月の松」と西郷隆盛像を見た

御朱印

根本中堂、開山堂、上野大仏、不忍池弁天堂と巡った寛永寺諸堂ですが、いよいよ最後の清水観音堂です。
天海大僧正比叡山にならって上野に寛永寺を創建した際、それまでの有名寺院になぞらえて次々と堂舎を建立しますがその中で1631年に建てられたのが清水観音堂です。シミズカンノンドウではなくキヨミズカンノンドウと読み、その何の通り京都の清水寺をモデルにしたものです。本堂の正面が「清水の舞台」を思わせる舞台造りとなっており、建物を模しただけでなく御本尊も清水寺より恵心僧都作の千手観音像を迎えて秘仏としてお祀りしています。

f:id:minamimachida0706:20170116205112j:plain赤い色が印象的な本堂はその後の上野戦争関東大震災東京大空襲といった様々な苦難を全てくぐりぬけ、現在の地に移築された当時の姿を現在にまで残している国の重要文化財です。

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江戸時代の浮世絵師であった歌川広重は「名所江戸百景」の中で清水観音堂の「月の松」の姿を描いています。実際の月の松は明治になって台風の被害により失われますが、かつての江戸の風景を取り戻すために2012年12月に復活しました。これにより月の松を通して不忍に行けの風景を見下ろすことが出来るようになりました。

f:id:minamimachida0706:20170116205144j:plain水観音堂のすぐそばには有名な西郷隆盛銅像があります。西郷は大久保利通木戸孝允と並び維新の三傑に数えられる人物で、幕末の動乱期に薩長同盟の締結や江戸無血開城の実現など明治新政府の樹立に多大な貢献をしたことは誰もが知っています。寛永寺彰義隊が立て籠ったことで発生した上野戦争の際、西郷は新政府軍の一員として薩摩軍を率いてちょうど銅像のあるあたりから攻め込んだと言います。

f:id:minamimachida0706:20170116205228j:plain当時は現在噴水広場があるあたりに巨大な根本中堂がありましたが、東大病院付近から撃ち込んでくる新政府軍の砲弾により焼かれ、その他多くの建物も失われました。
後に西郷は新政府内部の争いに敗れて辞表を提出し故郷の鹿児島に戻り、そこで不平士族に担がれて起こした西南戦争で敗れ自刃します。
国家のために戦って死んだ人々をお祀りしている靖国神社では維新殉難者として坂本龍馬中岡慎太郎吉田松陰といった人々が合祀されていますが、西郷隆盛は祀られていません。当然のことながら西南戦争で政府に反逆したとして官位をはく奪され逆賊とされたためです。しかし大日本帝国憲法発布に伴う恩赦により赦され、正三位を追贈されます。それに加えて御用地であった上野に銅像を建ててもらえたのですから、いかに西郷が人々から愛されていたかがよくわかります。
今回寛永寺の諸堂をひと回りし、上野と寛永寺西郷隆盛の結びつきについてよく理解できました。

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