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酒と車と御朱印と

「毎日更新」心願成就へ向け飲んで走ってひたすら祈る!果たして奇跡は起きるか!

【御朱印】義士祭の12月14日に泉岳寺に行ってみた

元禄15年12月14日午前4時ごろ、大石内蔵助に率いられた赤穂義士47名は現在の墨田区両国3丁目にある吉良邸に討ち入りました。忠臣蔵のクライマックスシーンです。
一般的には邸内をくまなく探しぬいてもどうしても吉良が見つからず、諦めかけたちょうどその時に炭小屋に隠れていたのを発見したと言われています。しかし実際は台所の奥の物置に隠れていた老人を突き殺したところそれが吉良だったということで、討ち入り開始からわずか二時間程度で決着したようです。どうも脚色されている話が多すぎるように思います。


本懐を遂げた義士たちは亡き主君である浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供えるべく泉岳寺へと向かいました。YAHOOの地図で吉良邸跡から泉岳寺までルート検索すると9.3㌔で約1時間50分と出ました。両国橋で隅田川を渡り、日本橋を通ってからは第一京浜というルートが最も早そうです。(付記 後で知りましたが両国橋は使わず、永代橋で隅田川を渡ったそうです。武士の屋敷の多い場所は避けたとのことでした。)
午前4時に討ち入って2時間で目的を遂げ、後始末に1時間かかるとすると吉良邸を出発するのは朝の7時ごろです。義士の中には怪我人もいたようですから泉岳寺に到着したのは9時から10時頃でしょうか。ドラマでは道の両側に見物人が並び拍手喝采して義士たちの行進を見送ったことになっていますが、テレビもラジオもない時代にそんなに早く情報が伝わるのかなと思います。


現在の暦に直すと少し異なってくるようですが一般的に12月14日は討ち入りの日ということになっています。ならば赤穂義士ゆかりの泉岳寺に行ってみようということでお参りしてきました。平日ですが討ち入りの日ですから少し混んでいるかもしれないと思っていたのですが、実際はもっとすごいことになっていました。
泉岳寺にとっては12月14日は冬の「義士祭」の日だったのです。平日にもかかわらず参道には屋台が並び混雑していました。周辺の駐車場は全て満車で、少し離れたところにしか止められませんでした。

f:id:minamimachida0706:20161214222418j:plain泉岳寺のホームページにもリンクが貼られていましたが、中門の脇の8階建てのマンションについては建設にあたって紛争になったようです。

f:id:minamimachida0706:20161214222444j:plain私はマンションを建てる側の立場にいたことがあります。法的な面で問題のない建築計画が提出された場合、基本的に行政は建築確認を下さなければならない決まりとなっています。そして建築確認が出されれば法令違反が発見される等の場合を除き工事を止めることはできません。行政や議会に働きかけて「港区景観計画」の改定にまでこぎつけたようですが、マンション計画が発表になってからでは遅いのです。ビルやマンションと言った建築物が建てられる場所は限られているのに、なぜ事前に手を打っておかなかったのでしょうか。
しかしこの程度のマンションで「お寺の空を隠してしまう」「泉岳寺としてのブランド力低減、イメージ悪化により甚大な経済的影響」「泉岳寺の文化的遺産の否定」というのは言い過ぎのように思いました。


中門の中もとにかく賑わっていました。

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1832年に再建された山門です。

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山門の横に大石内蔵助の像があります。

f:id:minamimachida0706:20161214222612j:plain本堂です。

f:id:minamimachida0706:20161214222628j:plain赤穂義士墓地は入場制限をするほど混雑していました。

f:id:minamimachida0706:20161214222657j:plain浅野内匠頭切腹した際にその血がかかったとされる梅と石です。f:id:minamimachida0706:20161214222717j:plain本懐成就の後、吉良の首級を洗ったとされる井戸です。

f:id:minamimachida0706:20161214222736j:plain義士墓入り口の門です。浅野家の屋敷の裏門を移築したものだそうです。

f:id:minamimachida0706:20161214222802j:plain先ず浅野内匠頭奥方の墓があります。

f:id:minamimachida0706:20161214222949j:plain次いで浅野内匠頭の墓です。

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義士たちの墓の配置図です。預かりとなった屋敷ごとに並んでいました。

f:id:minamimachida0706:20161214223139j:plain義士たちの墓です。戒名に全員「刃」の字が入っています。

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f:id:minamimachida0706:20161214223223j:plain大石内蔵助の墓です。浅野内匠頭の隣に位置しています。

f:id:minamimachida0706:20161214223246j:plain一番奥の枠の中が大石主税の墓、その手前が有名な堀部安兵衛の墓です。

f:id:minamimachida0706:20161214223317j:plainこのあたりになると線香の煙で目が痛くなりました。

司馬遼太郎によると武士の家では男の子が元服する前に入念に切腹の作法を教えたそうです。いざという時どう見事に腹を切るかが自分を語る最も雄弁な表現方法だったのです。しかし天下泰平の元禄時代はそれがうとんじられ、「扇腹」といって脇差(時には扇)を腹に当てただけで介錯人が首を落としてしまいます。実質的に打ち首と変わりませんが、打ち首だど遺体は刀の試し切りに使われたりして墓に入ることは許されません。幕府の処分が切腹だったというのはやはり重要だったのです。

頂いた御朱印です。

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こういういい方は不謹慎かもしれませんが、「かっこいい」と思いました。

 

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