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酒と車と御朱印と

「毎日更新」心願成就へ向け飲んで走ってひたすら祈る!果たして奇跡は起きるか!

【御朱印】鎌倉五山 浄妙寺 かつて足利尊氏の権力闘争の舞台にもなった、花に囲まれた美しい寺院

今年の4月30日に鎌倉五山巡りを行いましたが、円覚寺浄智寺建長寺寿福寺と巡りいよいよ最後の浄妙寺を残すのみとなりました。

地図を見ると横須賀線の線路の西側にある寿福寺から街の中心部を横切って東の端まで行かなければならないようです。北鎌倉駅を降りてから歩きどおしだったのでバスを使いたかったのですが、路線がどうなっているか全くわからず仕方なく歩くことにしました。


鶴岡八幡宮の前の道を東に進むと突き当りに宝戒寺があり、そこからクランク状のカーブを抜けてさらに東に進むと左手に杉本寺があります。そろそろ着く頃だと思っていると反対車線のバス停に大行列ができていて、信号のマークを見ると「報国寺入口」と書かれていました。この道にはそれ以外に既に書いた「明王院」や「光触寺」があり、後に御朱印を頂きに何回も来ることになります。

 報国寺を抜けると目的地の浄妙寺です。

f:id:minamimachida0706:20161121220058j:plainこじんまりとした印象をもつ浄妙寺ですが、やはり浄智寺寿福寺同様にかつては広大な寺領に壮大な伽藍を構えた大寺院でした。かつての敷地は「浄明寺」という地名に残されていますが、現在の鎌倉市浄明寺は1丁目から6丁目まであり、地図を見比べると皇居と同じくらいの広さがありました。


かつて足利尊氏が弟の直義を幽閉した延福寺も浄妙寺の敷地内にあったといいます。もともと足利幕府は尊氏が支配権を持つものの実務は直義が執るという性格を帯びていましたが、一心同体だった兄弟がそのうち仲たがいしました。まず弟が裏切って南朝と組んで兄を降伏させて実権を握りますがすぐに立ちいかなくなります。今度はそれを見ていた兄が南朝と組んで弟を降伏させて幽閉し、最終的には毒殺してしまったと言います。直義が実権を握ったといっても、関東武士団にとって自分たちの棟梁はやはり尊氏だったのです。実力があるということと人望があって人がついてくるということは全く別だということに気づかなかった直義の悲劇でした。このあたりの話は吉川英治の「私本太平記」に書かれていますが、乱世ならではのドロドロした話で満ち満ちています。
足利幕府第三代義満の時代が最盛期だったと言いますが、その後何度も火災で焼かれてしまい現在に至っているというのは浄智寺寿福寺と同様です。


山門を抜けると参道は美しい花で囲まれていました。

f:id:minamimachida0706:20161121220143j:plain本堂です。一日に何か所も寺院を巡ってきた後だったので、そのシンプルな美しさが特に印象に残っています。

f:id:minamimachida0706:20161121220228j:plainその他に枯山水の日本庭園を鑑賞しながら抹茶を楽しめる施設や、石窯で焼いたパンを味わえるカフェがあったりしたのですが、当時はろくに下調べもしておらず、また朝からひたすら歩きどおしで疲れ切っていたせいもありそのまま御朱印を頂いて帰ってしまいました。今思えばもったいないことをしたものです。何度も書いていますがやはり寺院にお参りするときは下調べをしておくことが大切です。このときはまだスタンプラリー的な感覚でした。

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繊細な美しさのある御朱印を頂きました。

 

鎌倉五山第4位 寿福寺の記事

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◆金沢街道をもう少し先に行った光触寺の記事

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