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酒と車と御朱印と

「毎日更新」心願成就へ向け飲んで走ってひたすら祈る!果たして奇跡は起きるか!

「坂の上の雲」の舞台である記念艦「三笠」で気迫というものの大切さを知る

乗り物

昨日書きましたように京急線沿線に展開する「えきめんや」の「旨ねぎ秋刀魚おろしそば」を食べに横浜へ行く機会を利用して横須賀の記念艦「三笠」へ行くことにしました。

 戦艦三笠は日露戦争当時の日本海軍の主力艦で、連合艦隊の旗艦として東郷平八郎司令長官が乗り込んでいました。特にロシアバルチック艦隊を完全に撃滅した日本海海戦の際は、長官が有名な「東郷ターン」の指示を三笠の艦橋の上から出したことで知られています。このへんの経緯については司馬遼太郎の「坂の上の雲」に詳しく書かれていますが、愛読者である私にとってここは聖地の一つです。


司馬史観」という言葉がありますが、これは「これだから素人は困る」という意味で、「それは司馬史観だ」などという使われ方をしているように思います。司馬は日露戦争はやむを得なかったものとして肯定していますが、先の大戦については「愚劣な戦争」だとして全面的に否定しています。これまで日本がやってきたことは全て正しかったと考える人たちにとっては司馬遼太郎歴史小説は我慢ならないものなのでしょう。
歴史小説を読む際に気を付けなければならないのはそれがあくまでフィクションであるということです。坂の上の雲を読んで、ロシアの歴史を勉強したつもりになってはいけないと作家の佐藤優氏は言っています。旅順要塞の攻防の場面など司馬の記述が正しかったのかどうかいろいろ意見は割れているようです。
しかしだからといって司馬の文学的価値まで全否定するのは誤りです。作品全編を通して自分たちが国を支えていくんだという明治の人たちの気概が伝わってきます。そういった気概を持った人々の活動の中から戦艦三笠、敷島、富士、朝日といった連合艦隊の戦艦戦隊ができたのです。


記念艦「三笠」は横須賀の三笠公園の中にありますが、中央に東郷長官の銅像が建てられています。

f:id:minamimachida0706:20161103220004j:plain三笠の全景です。1902年の竣工時には世界でも最先端の戦艦でした。現在は記念艦として公園内にがっちりと固定されています。

f:id:minamimachida0706:20161103220021j:plain砲室に吊るされたハンモックです。

f:id:minamimachida0706:20161103220042j:plainこの砲室に10名配員され、ここで就寝・食事・訓練・砲撃を行いました。中尉以下約830名がハンモックを使用していたということですから、士官でも下っ端はベッドを使えなかったのですね。
参謀長公室です。

f:id:minamimachida0706:20161103220106j:plain艦隊機関長居室です。

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f:id:minamimachida0706:20161103220137j:plain有名な秋山真之参謀の居室もこれと同じ内装だったそうです。
士官室です。

f:id:minamimachida0706:20161103220159j:plain広さに驚きました。
長官居室です。

f:id:minamimachida0706:20161103220233j:plain長官浴室です。

f:id:minamimachida0706:20161103220258j:plain長官公室です。

f:id:minamimachida0706:20161103220326j:plainネボガトフ少将の降伏受託もここで行われました。
私が以前に来たのはもう10年近く前で、その頃は艦内の展示ももう少し地味だったような気がします。照明が変わったのかより入念に磨かれたからなのか、以前よりきらびやかになったような気がしました。この10年の間にNHKの特別ドラマがあり、以前より注目されるようになったのかもしれません。
前方の甲板からの眺めです。

f:id:minamimachida0706:20161103220408j:plain中央部最上段に金色の筒状の物がありますが、ここが東郷長官が戦闘中に立っていた艦橋です。
戦闘中の艦橋の様子を描いた有名な絵です。

f:id:minamimachida0706:20161103220428j:plain艦橋には東郷長官、伊地知艦長、加藤参謀長、秋山参謀のそれぞれの立ち位置に印がついています。東郷長官の立ち位置です。

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その場所に実際に立ってみました。

f:id:minamimachida0706:20161103220525j:plain日本海海戦の戦闘中、連合艦隊司令長官の視界はこのようなものだったのです。
艦橋の一段下の操舵室です。

f:id:minamimachida0706:20161103220629j:plain「東郷ターン」開始の際の「取り舵いっぱい」の指示を最初に受けた場所です。
船首部分です。

f:id:minamimachida0706:20161103220700j:plainこうやってみると船体の一番目立つ部分に司令長官が立っていたということになります。三笠は連合艦隊の先頭を進んでいたため、日本海軍総員の中で最も敵に近い位置に司令長官がいたのです。勝負は時の運とも言いますが、運を手繰り寄せるには気迫が必要かもしれません。精神論ばかり唱えるのは好きではないのですが、しかし馬鹿にしたものではないことも感じた今回の訪問でした。

 

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