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酒と車と御朱印と

「毎日更新」心願成就へ向け飲んで走ってひたすら祈る!果たして奇跡は起きるか!

【御朱印】日光山輪王寺で頂ける御朱印と平成29年4月現在の御朱印所

先日日光山輪王寺日光東照宮二荒山神社と続けてまわり、合計で12体の御朱印を頂きました。

日光東照宮の陽明門や三猿、眠り猫といった文化財の修復が完了したというニュースに最近頻繁に接します。恐らくゴールデンウィークに突入すると身動きもとれないような混み方になるでしょう。何とか連休前に行ってしまおうということで、強引ではありましたが古峯神社のお参りを終えてから日光へ向かいました。県道14号線を通って約1時間です。

 

いわゆる日光山内には日光山輪王寺日光東照宮二荒山神社と寺社が入り乱れています。

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比叡山延暦寺という建物が無いように日光に輪王寺という建物はありません。輪王寺という名称は日光山中にある寺院群の総称になります。

 

766年に大谷川を渡った勝道上人は現在の「神橋」(しんきょう)の近くに聖地を見つけ千手観音を祀った四本龍寺を建てました。これが後の輪王寺の起源となります。

平安時代になると日光には空海天台宗の高僧である円仁らが来山します。円仁の時代に三仏堂、常行堂が創建されました。

 

徳川家康の側近だった天海が住職になると日光は繁栄します。家康を神として祀った東照宮や家光の霊廟である大猷院(たいゆういん)霊廟が設けられました。

1655年に後水尾上皇院宣により「輪王寺」寺号が下賜され、上皇の第三皇子である守燈法親王天台座主寛永寺貫主と兼務して入山しました。以後輪王寺の住持は出家した男性皇族が務めることとなり輪王寺宮と称します。

明治の神仏分離令により輪王寺東照宮・二荒神社と分離した結果、山中の寺院を統合して輪王寺とすることになりました。そのため輪王寺に属する建物が山中に点在するようになったのです。

 

日光の観光と言えばどうしても神橋から始まります。輪王寺の主要部への参道とは反対方向の右手に進むと日光幼稚園の裏側にひっそりと四本龍寺が建っています。

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火災により焼失したものを1685年に再建したもので国の重要文化財に指定されています。

四本龍寺の御朱印は後程登場する三仏堂の御朱印所で併せて頂けます。平成294月末現在では護摩堂ではなく三仏堂の御朱印所となっていますのでご注意ください。

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日光山輪王寺の表門である黒門です。皇族を門主と仰ぐ門跡寺としての格式を示しています。

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黒門の御朱印は隣接した御朱印所で頂けます。正午からしばらくお昼休みに入るようなのでご注意ください。

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本堂の三仏堂です。東日本最大の木造建築物であり、大雪により倒壊していたものを1645年に徳川家光が建替えました。現在大修理中ですが内部を拝観することはできます。

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建物を覆っている素屋根には三仏堂の実物大の絵が描かれ、また地上7階の高さに設けられた見学通路である天空回廊からは大修理の現場が見学できるだけでなく、周辺の眺望も楽しめるようになっています。

三仏堂の御朱印は正面の拝観券売り場です。「御朱印所」という表示はありません。裏の護法天堂と書いている記事もありましたが、平成294月現在ではこちらが御朱印所です。

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こちらで三仏堂と四本龍寺の御朱印が頂けます。ただ「御朱印をお願いします」と言っただけでは三仏堂の御朱印のみになるのでご注意下さい。

 

三仏堂の裏手の建物が毎日護摩を焚き祈祷を行う護摩堂で、平成10年築という新しい建物です。

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こちらの御朱印は建物の奥の御朱印所で頂けます。

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ネットの記事の中には四本龍寺の御朱印護摩堂で頂くことになっているものが幾つかありましたが、平成294月現在護摩堂で四本龍寺の御朱印は扱っていません。

 

配置の関係で護摩堂の次は東照宮をお参りすると思います。こちらは明日ご紹介しますが、東照宮の敷地内にある「鳴龍」で知られた薬師堂は寺院であるため輪王寺の管轄になります。

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龍の絵の下で拍子木を打つと龍が鳴いているような音が確かに聞こえてきました。こちらの御朱印は堂内の出口付近で頂きます。オリジナル御朱印帳のサンプルが置いてあったので触ってみましたがサイズも紙質も申し分ありませんでした。

 

もうこのあたりで完全に足にきており東照宮の階段を下りるのもおっかなびっくりという状態でした。

 

次は二荒山神社の前を通り抜けて常行堂にお参りします。848年に創建され、現在の建物は1100年代に再建されたもので国の重要文化財です。御朱印は堂内で頂けます。

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そして最後にお参りするのが徳川家光の霊廟である大猷院です。

重要文化財の仁王門です。

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重要文化財の御水舎です。天井に龍の絵が描かれ、水面に映る姿から「水鏡の龍」と呼ばれています。

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天井の龍の絵です。

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四体の夜叉が霊廟を守る夜叉門で重要文化財です。

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重要文化財の唐門です。

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大猷院の中心である国宝の拝殿・相の間・本殿と続く建物です。

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家光の霊廟へと続く重要文化財の皇嘉門です。

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大猷院の御朱印は拝観券受付所で頂けます。

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御朱印所に関して事前にネットで入手していた情報と違っていたため護摩堂と三仏堂の間を行ったり来たりするはめになりました。当分の間はこの記事の内容で大丈夫かと思います。

右から「黒門」「護摩堂」「三仏堂」「四本龍寺」の御朱印です。

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右から「鳴龍」「常行堂」「大猷院」の御朱印です。

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平日にも関わらず人出はかなり多かったです。ゴールデンウィークになったらどういうことになるか想像もつきません。

 

御朱印界のスーパースター、天狗の御朱印で有名な古峯神社の記事 

minamimachida0706.hatenablog.com

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

【御朱印】天狗の御朱印で知られる古峯神社には意外と簡単に行けた。

栃木県の古峯ヶ原高原(こぶがはら)に鎮座する古峯神社(ふるみね)は御朱印集めにはまるようになって以来いつかは行ってみたいと思っていた神社です。

こちらでは見開きで天狗の絵を描いた御朱印をいただくことができますが、デザインが何と27通りあります。それぞれ書き手が違うため、どの御朱印を頂けるのかは当日の書き手の出社状況次第ということで、何とも興味深い話です。

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しかし神社の所在地を見ると日光からさらに足尾の方へと山奥へ分け入っていかなければならないような場所に思え、これは泊まりじゃなきゃ無理だと半ば諦めていたのです。実は東北道鹿沼ICから34㎞ということで「意外と近い」ということが最近になって判明し、チャンスを伺っていました。

5冊目の御朱印帳を鳩居堂まで買いに行ったのも全てこのためです。このような御朱印はやはり大型サイズの紙質の良い御朱印帳に頂きたいではないですか。

 

鹿沼ICは初めてだったので事前に地図を念入りに確認しました。(私はナビは持っていません)しかし曲がらなければならない角にはことごとく古峯神社の看板があったので全く迷いませんでした。

神社までまだ20㎞以上あるような場所に「古峯神社参道」という碑が建っていました。

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このような道がひたすら走ります。何とも気持ちの良いドライブでした。

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神社まで約6㎞の場所に突如出現した「一の大鳥居」です。高さ24.622m、笠木の長さが34.24mで建設当時は日本一の大きさだったようです。

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この辺りはちょうで桜が見頃となっていました。

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野生の猿もいましたが、写真を撮り損ねました。

 

ついに到着しました。鹿沼ICから1時間少々だったと思います。

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境内に入る前に橋を渡ります。

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川が聖域との境界線のようでした。

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このあたりから空気が引き締まっているのを感じます。

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拝殿です。

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古峯神社は1340年前に都から日本武尊の神霊をこの地に招いてお祀りしたことが起源とされています。かつて勝道上人がこの近くの「深山巴の宿」で修業した結果初めて男体山の登頂に成功し、日光を開山したと言われています。そのためこの地は日光全山の僧侶が修行に励む霊地となりました。明治の神仏分離令により現在は仏教を切り離した神社となっています。

 

古峯神社にはメンバーが毎年交代で代参を行うという講組織が約2万あるといいます。メンバーの中から選出された代表者がお参りし、他のメンバーに御札を授与するというもので、そのための宿泊施設もあります。

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境内に郵便局があるのもそのせいでしょうか。

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全国各地の講の記念碑が建っています。

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古峯神社の庭園として造られた古峯園(こほうえん)もあります。

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「園内の撮影は禁止されております」と書かれていて驚いたのですが、職員の方に確認すると今は苔の生えている場所に入らなければ撮影しても大丈夫とのことでした。

 

私がこれまで見た日本庭園の中で最も美しいと思ったのは島根の足立美術館のものですが、これは美術館のガラス越しに見るだけで中を歩くことはできませんでした。

実際に歩くことができる庭園として古峯園は高松の栗林公園や金沢の兼六園以上であり、これまで見てきた中で最も美しいと思いました。

 

念願かなって頂いた古峯神社の天狗の御朱印です。

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後で聞いた話ではどのデザインの御朱印がいいか希望することはできるようです。ただ当日書き手が出社していない場合もあることと、かなり待つ場合もあるということで、特に指定しないのが最も早いということでした。

紙の御朱印は全タイプ揃っており、最も欲しかったものを一枚頂きました。色紙にでも貼って壁にかけておこうかと思っています。

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元旦の朝の箱根神社のような引き締まった、神秘的な雰囲気を感じた神社でした。

意外と近かったのでいつかまた来てみたいと思っています。その時は通るかどうかは別として次は御朱印の希望を言ってみることにします。

 

 

 ◆前から行ってみたいと思っていた寺社に行ってみたという記事

minamimachida0706.hatenablog.com

minamimachida0706.hatenablog.com

 最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

南町田駅前再開発事業の進捗状況①(平成29年4月)

今年の212日に田園都市線南町田駅前のショッピングモールであったグランベリーモールが閉店となりました。一旦取り壊して周辺地域を含めた再開発を実施し、2019年秋に「まちびらき」を行う予定となっています。

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あの大規模な商業施設が完全に無くなってしまいました。東急ストアだけは仮店舗で営業していますが、品揃えがこれまでと全く違います。覚悟はしていましたがやはり不便です。まだまだ先の「まちびらき」を今はひたすら待つしかありません。

 

街が2年半かけてこれまでの2倍以上の規模に生まれ変わるわけですから地元で生活する者としてはその過程を記録に残しておきたいと思っています。このブログの場を利用して定期的に再開発の進捗状況を記録するとともに、皆様にもお知らせしたいと思います。

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221日に開催されました説明会で示されたスケジュール通り、北口駅前広場は利用開始となっています。駅南側にあった町田バスセンター行きとマークスプリングス行きのバス停は全て北口に移動しました。

f:id:minamimachida0706:20170424212202j:plain駅前は現在「切替Ⅰ」の状態です。

閉店前

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現在

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「切替Ⅱ」になるとここも塞がります。その際は以前郵便局があったあたりに入り口ができるようです。

 

スケジュール通り商業施設の解体工事が進捗中です。

駅前エリアは取り壊しがほぼ完了しています。

閉店前

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現在

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東急ストアの建物が取り壊され、駅前とモールを結んでいた歩道橋だけ残されました。

閉店前

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現在

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モール部分も半分以上更地になっているように感じられました。

閉店前

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現在

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かつてのグランベリーモールで異彩を放っていたmont-bellはまだ辛うじて残っていました。

閉店前

 

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現在

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310日から営業している東急ストアの仮店舗です。これが出来たおかげでかなり救われていますが、これまでと比べるとやはり狭く品揃えの店で難があります。「まちびらき」まで辛抱するしかないようです。

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鶴間公園の北側入り口が閉鎖されました。道路の新設工事も始まる様子です。

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全体としてはこのような状況です。工事が進捗するのはうれしいことですが、15年間見慣れた光景がどんどんなくなっていくことには寂しさを感じます。

閉店前

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現在

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今後はグランベリーモール全体を北口駅前広場の高さに揃えることになりますので、敷地全体をかさ上げしていくことになります。どのように進捗していくのか見当もつきません。

 

◆再開発の説明会に参加してみた記事

minamimachida0706.hatenablog.com

三井不動産日本橋で実施した再開発事業の記事

minamimachida0706.hatenablog.com

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

【御朱印】オタクの街に突如出現した秋葉原神社は意外とちゃんとしていた

秋葉原と言えばアニメ、フィギュア、アイドル、メイドカフェ、電気街といった様々な分野における聖地のような存在ですが、そんな秋葉原にその名も「秋葉原神社」ができて御朱印まで頂けることを皆様ご存知でしょうか。

私は昨年の3月まで秋葉原と目と鼻の先にある岩本町の会社に勤務していたのですが、当時はそのようなものは存在しませんでした。その後神社ができたという話を風の便りに聞きましたが、フィギアやアニメショップが立ち並んだビルの中にあるという話だったので、どうせ真面目に対応するに値するような代物ではないだろうと思いそのまま放置していました。

 

最近にツイッターで入手した情報によると、その秋葉原神社で4月限定の見開き御朱印を頂けるとのこと。気になって神社のHPを見ると、この地域ならではの特色はあるもののちゃんとした神社のようです。何であれ話の種くらいにはなるだろうと思い行ってみることにしました。

 

いつぞやの通り魔事件以降中止されていた歩行者天国が復活していました。

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AKB48劇場が入っているドン・キホーテです。

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話題となっている「マリオカート」ですが初めて実物を見ました。法的に何の問題もないというのが信じられません。

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秋葉原神社は「神田明神下」交差点に面した場所に位置しています。

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こちらが全景です。しっかりと看板もあります。近くにはオタク系の店の行列ができていました。

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正面から見ました。

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実に真面目な内容です。

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「・・・・・」

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伏見稲荷神社を思わせる参道です。突き当りの右側が本殿です。

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本殿は撮影を控えます。天照弥勒大神(あまてらすみろくおおみかみ)を主祭神、天宇受売命(あまのうずめのみこと)宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)を配神とした至極まっとうな神殿でした。出雲大社東京分祠を思わせるような手水舎もちゃんとあります。

 

参道の脇にはフィギュアがずらりと並んでいます。

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秋葉原神社の最大の特色はフィギュア供養を受け付けていることです。大切にしていたフィギュアとお別れするとき神社で魂を抜いて供養し、年四回の供養祭でお炊き上げをします。預かったフィギュアを中古市場に流通させることは絶対にないそうです。

 

絵馬というものは各神社で趣向を凝らしたものになりますが、秋葉原の神社がこのようになるのはこれはもう仕方ないでしょう。

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その他おみくじチェキというものがあり、引いたおみくじの札に合わせて巫女と記念写真が撮れるそうです。こういうところは秋葉原です。巫女さんはきちんとした装束姿ですが、やはり秋葉原という雰囲気を漂わせていました。

「神聖」という言葉とは全く無縁のエリアに置かれた神社ですが、お参りする人が絶えなかったのが印象的でした。

 

こちらの神社は平安教団という組織の別宮ということで昨年の6月に一般の参拝が開始された際はネット等でかなり物議をかもしたようです。平安教団の初代教主である松本明重は宗教家であると同時に右翼の活動家でもあったということで、何やら怪しい新興宗教として警戒されたのかもしれません。

 

私の印象としては予想していた以上にちゃんとした神社でした。横浜ベイスターズが優勝した1998年に横浜駅東口の地下街に出現した「ハマの大魔神社」のようなものかと思っていたのですが全然違いました。できてまだ1年経っていませんが、秋葉原という極めて特異なエリアの神社として今後10年、20年と続いていけば将来実に面白い空間になる可能性があると思います。

 

いかにも秋葉原という雰囲気の巫女さんから頂いた4月限定御朱印です。

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小さく「あきはばらじんじゃ」と書かれているのが印象的です。間に挟む押さえ紙のも書いてありました。

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◆すぐ近所にある商売神様である神田明神の記事 

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◆同じくカラフルな御朱印を頂いた瑞光寺の記事

minamimachida0706.hatenablog.com

 最後まで読んでいただきありがとうございます。

【御朱印】龍口寺は江ノ電で最もスリリングなカーブの横に建っている

江ノ電に乗っていて最もスリリングな区間は腰越から先の路面電車区間ですが、その中でも江の島駅に入る直前に交差点をカーブしながらクロスする区間は電車の側だけでなく車にとっても特にスリリングな場所になります。この重要な交差点に面して建っているのが龍口寺です。

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この場所はもともとは龍ノ口法難で日蓮が処刑されかかった場所でした。

日蓮法華経のみを正法とし、国に災いが絶えないのは人々が法華経を信じず浄土宗などの「邪宗」を信じているからだと仏教の他の宗派を攻撃していました。1271年には極楽寺良寛坊忍性と「負けた方が相手の弟子になる」という無茶な条件で雨乞い対決をして圧勝しますが、これによりさらに他宗派からの恨みを買うことになります。

敗れた良寛坊忍性は幕府要人に取り入って様々な画策をするのですが、幕府も「立正安国論」の中で日蓮に批判されていたこともあり、日蓮を逮捕し龍ノ口の刑場で処刑しようとしました。しかし処刑は直前で中止となり、最終的に日蓮佐渡に流されることになります。

 

日蓮の死後の1337年、弟子の日法がこの地を法難の霊蹟とし、自作の日蓮の像と刑場で座らされていた石を祀ったのが龍口寺の起源とされています。

 

刑場の跡地になります。

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鎌倉時代の初期から名前が登場する刑場ですが、戦の後の首実検もこのあたりで行われたと言います。義経の首も腰越で検分されたといいますから、ここで首実検が行われたのかもしれません。元寇に際し、元からの降伏勧告の使者を処刑したのもこの刑場でした。

 

龍口寺の入り口にあたる仁王門です。

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1864年建立の山門です。

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1601年にこの地の住人で日蓮宗の篤い信者だった島村采女が土地を寄進し、それにより諸堂が整って本格的な寺としての体裁が整いました。

 

1832年建立の大本堂です。日蓮の像と敷皮石を安置していることから敷皮堂とも呼ばれています。

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明治43年建立の五重塔で、神奈川県内では唯一の木製の五重塔です。(川崎大師の五重塔はコンクリート製のようです)

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日蓮宗の寺院では御朱印は「御首題」といい「南無表法蓮華経」と独特な書体で書きますが、これはあくまで法華経に対する信仰の証となります。そのため原則として頂けるのは日蓮宗の寺院の御首題のみの「御首題帳」に対してだけであり、それ以外の宗派の寺院や神社の御朱印が入っている場合は「妙法」という御朱印を頂けます。

ただしこれはあくまで原則であり、実際は書き手の方の考え方次第という事です。私の場合は既に他の宗派も混ざっているので御首題ではなく御朱印になります。昨年の8月に大本堂の中で頂きました。

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日蓮宗特有の書体の御朱印を頂きました。

 

◆刑場の連行される日蓮にぼたもちをふるまった常栄寺(ぼたもち寺)の記事 

minamimachida0706.hatenablog.com

 ◆佐渡から戻った日蓮が活動の拠点とした本覚時の記事

minamimachida0706.hatenablog.com

 最後まで読んでいただきありがとうございます。

【書評】「七帝柔道記」関係者しか知らなかったほぼ寝技だけの柔道

日頃神社仏閣をまわって御朱印を頂いておりますが、御朱印と一緒に栞を頂けることがたびたびあります。

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最近はまとまった本を読む時間が増えて頂いた栞も大活躍していますが、その中から特に印象に残ったものについて当ブログでご紹介したいと思います。

初回は子安神社の桜限定御朱印を頂く際、2時間待ちの間ひたすら読み続けた増田俊也著「七帝柔道記」をご紹介します。

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これは七帝戦優勝を夢見て北海道大学でひたすら柔道に打ち込んだ増田氏の学生時代を描いた私小説です。登場する選手名がすべて実名のためてっきりドキュメンタリーだと思っていたのですが、架空の話も混ざっているそうです。そうすると小説の中に登場する増田俊也は作者である増田氏の分身ということでしょうか。

 

七帝というのは東大や京大、東北大といった7校の旧帝国大学のことです。これら7校の柔道部は毎年6月に七帝戦と呼ばれる大会を開催しているのです。名古屋の旭丘高校の柔道部員だった増田は名古屋大学の柔道部員と稽古をしたことがきっかけとなって七帝戦に憧れ、二浪の末北海道大学に合格して柔道部に入部します。

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七帝戦の特徴として通常の柔道と全く異なる、寝技を重視した独自のルールを導入していることにあります。

柔道のルールには「試合は立った状態で始める」と書かれ、「寝技に移行するのは以下の場合」ということで数項目列挙されています。そして反則として列挙された行為の一つに「寝技に引き込むこと」とあります。寝技に行くためには何か技を掛けて倒れなければならず、何もしないで引っ張り込むのは反則なのです。そして寝技の攻防になっても膠着状態になれば審判が「待て」をかけます。

 

七帝戦のルールでは引き込みが認められていて、そして一旦寝技に入ると「待て」がかかりません。そのため七帝戦の試合のほとんどは延々と寝技の攻防が続く、まるでデスマッチのような展開になります。オリンピックの柔道しか見たことの無い人にとっては恐らく目を丸くするような光景だと思います。

七帝戦は15人同士の勝ち抜き戦です。優勢勝ちはなく一本取らなければ引き分けです。チームが勝つためには抜くべきところで抜き、それ以外は引き分けるということが大切です。

 

増田が入部した時の北大柔道部は部員の減少と選手の小型化が進んでいて、そのため七帝戦でも最下位が続いていました。柔道部としては一番避けなければならない悪循環の中ということになり、一度ここにはまると抜け出すのは大変です。

この状況を打開するにはとにかく稽古しかないという事で部員たちは極限まで練習量を増やしていきます。七帝戦というのは勝っても新聞に載るような試合ではありません。そして将来柔道の専門家になるわけでもないのに彼らは学生生活の全てを柔道に注ぎます。北海道の美しい自然の中で周囲の学生たちが楽しいキャンパスライフを謳歌しているにもかかわらず、ひたすら道場で寝技の乱取を続けるのです。

 

七帝ではありませんが私も学生時代似たような環境で柔道をしており、やはり独自のルールを作って毎年大会を開催していました。そのため「あるある」と思いながら読んでいました。新入部員へのお客様待遇がなくなる新歓合宿、何のために存在するのかわからない伝統の儀式、女性に対する苦手意識等々この時代の柔道部の様子がよく描かれていると思います。

 

七帝の柔道部員は「練習量が全てを決定する柔道」を信じて寝技の練習に取り組みます。そのレベルは高く、七帝戦で開発された技が世界選手権決勝で使われたこともあるくらいです。かつて京大が寝技を駆使して体重無差別の団体戦である全日本学生選手権でベスト16まで進出した時には新聞でも話題になりました。

寝技というものは数学の問題を解いていくことに似ていて、センスが必要な立ち技と違って練習しただけ強くなることができます。また立ち技にはまぐれ当たりがありますが寝技にはこれがほとんどありません。年に一度の大切な試合を確実に勝つため彼らは寝技を極めようと稽古を続けるのです。

 

実際の試合の場面では「抜く」「分ける」という言葉が頻出します。柔道の勝ち抜き戦においては勝ってポイントを獲得することと同じくらい引き分けて相手にポイントをやらないということが重要になります。自分より実力が上の相手に対し、たとえ勝つことは無理であっても頑張れば引き分けることならできるかもしれません。そのため普段は目立たないような選手でも相手のポイントゲッターを引き分けて止めることができれば大ヒーローになります。しかしこれは逆に恐ろしいことでもあるのです。

 

明らかに格上の相手と対戦する場合、通常かけられる言葉は「負けてもいいから思い切ってやってこい」というものだと思います。しかしこの世界で言われるのは「命がけで引き分けてこい」というものです。これは私も経験ありますが、言われると背筋がぞくぞくします。

 

1年目の七帝戦で出番を前にした増田は主将から声を掛けられます。「お前、俺たちのために死ねるか」「本当に死ぬ気で行けよ。そうしたら絶対に分けられる」「俺の期待を裏切るな」

増田氏がいた世界でも私がいた世界でもこの精神は今でも残っていると思います。伝統という訳がわからないものが持つ影響力の大きさを感じます。現在のような世の中でもこのような世界がまだ残っているのです。

一部の関係者しか知らなかった世界を幅広い層に圧倒的な共感とともに伝えたことがこの本のすごいところです。ただ共感できても部外者にこの世界が本当に理解できるかなと思います。

 

小説としての七帝柔道記は増田が2年生の時の七帝戦で終了しています。その後北大柔道部がどのようになったか私はよくわかっています。増田が膝の靭帯を切って入院した時に知り合った看護婦の市原慶子との関係がどうなったか、それだけが気になります。

 

◆併せてぜひお読みいただきたいスポーツネタの記事

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2年かけて見つけた新しい御朱印帳の選び方

416日に円覚寺山内の佛日庵でいただいた御朱印で昨年の1216日に豊川稲荷東京別院で購入した4冊目の御朱印帳がいっぱいになりました。そのため新しい御朱印帳の選び方という問題が発生しました。

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豊川稲荷御朱印帳はデザインもさることながら紙質が良く、そのため表裏の両面を全て埋めることができました。

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これまで度々書いておりますように私の御朱印集めは一昨年の4月、長野の善光寺から始まりましたが、そこで購入した御朱印帳は今思えばデザイン、サイズ、質感、紙質等々全て最高の物でした。「今思えば」と書いたのは、御朱印帳というのはどこもこのような物だと当時思っていたからです。何しろ他を知りませんので。

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2冊目の御朱印帳のスタートと勢い込んで向かった寒川神社で見たのは善光寺の売店で並んでいた御朱印帳とは全く違う物ばかりでした。大きさはひと回り小さく、紙はかなり薄くなっていました。御朱印帳のサイズが小さいと頂いた御朱印の印象が弱くなったように感じられます。何よりも紙が薄いため裏まで墨が沁みてしまったことが問題でした。これではとても表裏の両面頂くことはできません。

 

そういう御朱印帳であっても寺社巡りをしているうちに愛着がわいてきましたが、とにかく早く埋めてしまおうと強引な七福神巡りをしたりしたものです。この頃「見開きの御朱印」というものがあることを知ったのですが、そういうものはやはり大きなサイズの御朱印帳に書いて頂きたいと思っていました。

 

メジャーな寺社なら善光寺のような高品質の御朱印帳があるだろうと3冊目のスタートに選んだのが高尾山薬王院でした。こちらでは念願の大きいサイズの御朱印帳がありましたが、紙質は寒川神社と同じでした。御朱印帳の紙質はこれがむしろ普通なのだという事をこの時初めて知ることとなったのです。

ちなみにこの御朱印帳に頂いた目黒不動尊御朱印です。

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裏はこのようになっています。

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このような経験を踏まえ4冊目の御朱印帳はサイズと紙質の両面にこだわることとなりました。

御朱印帳のサイズといえば11㎝×16㎝か12㎝×18㎝のどちらかではないかと思いますが、やはり大きいサイズの御朱印の方が見栄えがします。そして表裏の両面に御朱印を頂くために、墨が裏まで染みないような厚めの紙でなければなりません。そこで選んだのが豊川稲荷でした。

 

御朱印帳の紙質の真価を問われるのが北鎌倉の円応寺です。こちらでは筆に墨をたっぷりと含ませた極太の書体で「十王」と書いた御朱印を頂けます。

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「十」のクロスしている部分の紙がささくれ立つほど墨の量が多かったのですが、豊川稲荷御朱印帳はこれをほぼ受け止めることができました。円応寺の御朱印の裏はこうなっています。

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「九重」の九の下と「平成」の右側に小さな点がありますが、あれだけ墨を使って染みがこれだけなら上出来でしょう。普通の紙質の御朱印帳なら大変なことになったのではないかと思います。

 

御朱印集めをしているとそれぞれの寺社で趣向を凝らしたオリジナルの御朱印帳を用意していることに気が付きます。デザインの美しさの点で見るべきものは多いと思いますが、2年間やってきて「サイズと紙質こそ御朱印帳の命である」と思うようになりました。私にとって御朱帳は中身こそ命なのです。

 

そういったことで5冊目の御朱印帳をどうするか悩みました。御朱印帳の情報を見るとサイズと紙質まで書いて下さっていますが、大き目のサイズで紙質が「良い」御朱印帳を入手するためには山梨や秩父といった遠方まで行かなければならないようです。

 

という事で5冊目に選んだ御朱印帳がこちらです。

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寺社ではなく銀座の鳩居堂まで行って選びました。サイズと紙質が良ければ寺社の物でなくてもいいだろうと思ったのです。2500円しただけあって質感は抜群です。

鳩居堂なら上質の御朱印帳が選び放題だと思っていたのですが、大半がペラペラの紙質でした。「これなら」と思って手にとった物には「手すきの紙のため墨がにじみます」と書かれています。ようやく見つけたのがこちらでした。紙の厚さは善光寺ほどではありませんが、豊川稲荷とほぼ同じくらいですので期待できそうです。表題部が空欄のためパソコンで「御朱印帳」と打って貼り付けました。

 

新しい御朱印帳に美しい御朱印をいただき、今後も皆様に楽しんで頂けるような記事を書きたいと思いますので今後ともよろしくお願いいたします。

 

◆本文中に登場した目黒不動尊・円応寺・九重神社の記事

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