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酒と車と御朱印と

「毎日更新」心願成就へ向け飲んで走ってひたすら祈る!果たして奇跡は起きるか!

【御朱印】覚園寺本堂の拝観案内は絶対に参加した方がいい

来迎寺のお参りを終えてから覚園寺に向かいました。

金沢街道の「岐れ路」交差点から斜めに伸びる「お宮通り」は最終的に鎌倉宮に突き当たりますが、ここを右に進むと瑞泉寺、左に進むと覚園寺にたどり着きます。鎌倉の特色である尾根と尾根の間の谷間に延びる道を10数分進んでたどり着きました。

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覚園寺の本堂である薬師堂は決まった時間に寺側の案内で拝観することとなっています。10時開始の案内に間に合うべく家を出たのですが京浜東北線のダイヤ乱れに伴う横浜線の遅延に巻き込まれてしまったため、先に来迎寺をお参りして時間を調整し11時の案内に参加しました。

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門をくぐってすぐ正面にあるのが愛染堂です。本尊の愛染明王坐像の他に鉄造不動明王坐像、木造阿閦如来坐像を安置しています。

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ここでは人間の欲望、煩悩を全て受け入れて生きる力を与えてくれます。

 

愛染堂の脇に小さな鐘が下がっていました。

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ちょうど新緑の時期であったためお堂周辺の緑が見事でした。

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これだけでは単なる古都の小さな寺院ということで終わってしまいますが、覚園寺の神髄はこの拝観受付所の奥にあります。ここから先は住職が約50分かけて案内してくださいますが、全て撮影禁止となっています。写真がないので記憶の中の映像を言葉で説明しなければなりません。

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覚園寺は薬師ヶ谷と呼ばれる谷間の地形に縦長に広がっていて、北鎌倉の建長寺と隣り合うほどの広さとなっています。拝観受付所からまっすぐ進むと正面に本堂である薬師堂が見えてきます。

現在の建物は1354年に足利尊氏によって再建された茅葺の仏堂で、一面の緑の中に茶色の堂々たる姿を見た時は思わず声が漏れてしまったほどでした。

雰囲気としては杉本寺の本堂をもう少し縦に延ばしてより武骨にしたような建物とでも言えばいいでしょうか。参考までに杉本寺の本堂の写真を載せます。

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鎌倉幕府第2代執権の北条義時が1218年に運慶に薬師如来像と十二神将を彫らせ、薬師堂を建ててこれを納めたことが覚園寺の始まりです。

その後1296年に三度目の元寇がないよう祈念して薬師堂を正式な寺に改めました。

 

1337年の火災で薬師堂は焼失しますが1354年に足利尊氏が再建して現在に至っています。薬師堂の天井には足利尊氏の名前と1354年を意味する「文和三年」という年号を記した板が残されていました。

 

薬師堂からさらに奥に進むと江戸時代の名主の住宅を移築した旧内海家住宅があります。

茅葺屋根を室内からじっくりと見上げたのはこれが初めてでしたが、常にいろりに火を起こして上昇気流を発生させなければならないというのがよくわかりました。建材には全てすすが染みついていて、そのため天井で茅をささえる竹は独特の風情が出て高く売れるそうです。(それ以外は柱も梁も二束三文らしい)

 

その他岩盤に掘った大きな矢倉の内部に十三仏信仰に基づく石仏を祀った十三仏やぐら、黒地蔵に願いを託してその分身を借り受け、願いが叶うと自分でもう一体作って合計二体返すという千躰地蔵尊など様々なものがあります。

 

新緑の時期に晴れ渡った天気であったため一面まぶしいほどの緑でした。案内していただいた住職は「今が一番いい時期ですよ」と言われていましたが、恐らくこれを毎日言っているのではないかと思います。これからの時期はアジサイがどこにも負けない程綺麗なのだそうですが、「アジサイの時期は皆さんあの寺とあの寺とあの寺に行ってしまうので逆にすいている」そうです。

 

鎌倉の奥座敷にある実に見事な空間でした。決して華やかではありませんが、自然と調和した簡素で力強い美しさがあります。薬師堂の拝観案内は誰もが一回は行ってみた方がいいと自信をもってお勧めできる場所です。

何回通ってもその度毎に新しい発見があるのですから鎌倉という街は実に奥が深いと思いました。

御朱印は拝観受付所で頂けます。

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これまで頂いてきた数多くの御朱印の中でも屈指の芸術的御朱印を頂きました。

 

◆「鎌倉で最も美しい仏像」がある来迎寺の記事

minamimachida0706.hatenablog.com

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

【御朱印】来迎寺(西御門)には「鎌倉で最も美しい仏像」がある

私のように東京の西部に住んでいる者が御朱印集めをするという事になるとどうしても主戦場は鎌倉という事になります。これまで何回も通い、ほぼすべてのエリアを制覇したつもりでしたが、よく見るとまだまだ空白地域があるようです。その一つをつぶすべく西御門の来迎寺(らいこうじ)をお参りしました。

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源頼朝が鎌倉に幕府を開く際、当初は父義朝の邸があった現在の寿福寺のあたりを考えていましたが、そこが狭かったために現在の清泉小学校のあたりに開くことになりました。幕府の西門があった関係でこのあたりが西御門(にしみかど)という地名になっています。

 

鎌倉には来迎寺という寺院は西御門の他に材木座にもあるようです。地図を見ると長勝寺と補陀洛寺の間にありましたが、先日そこを通った時には全く気付きませんでした。

 

西御門の来迎寺は1293年に発生した鎌倉大地震で、とりわけ被害が甚大であったこのあたりの亡くなった村人を供養するために一遍により創建された寺院です。

この地震では「山は崩れ地が裂け」死者が2万3千人に及び、大慈寺建長寺が倒壊するなどの被害がありました。地震のどさくさの中で鎌倉幕府執権北条貞時が幕府内で専横をふるっていた平頼綱父子を討伐した平禅門の乱も起こっています。

 

主要な観光スポットから離れているため周辺の学校から聞こえてくる子供たちの声と鳥の鳴き声しか聞こえません。

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来迎寺の本堂です。

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本堂には御本尊の阿弥陀如来坐像と南北朝時代の仏師である宅間浄宏の作と伝えられる地蔵菩薩像が安置されています。この地蔵菩薩像は近くにあった報恩寺(廃寺)の本尊だったものです。

本尊脇の如意輪観世音菩薩像は練った土で作った紋様を貼り付けた「土紋」の装飾で知られており、「鎌倉で最も美しい仏像」ともいわれています。

 

御朱印と同様に仏像も仏教信仰の対象ですから拝観にあたってはまず礼拝することが大切です。

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あいにくこの日は拝観できないようでした。

 

一遍の起こした時宗阿弥陀仏に帰命(おまかせ)する「ただ今のお念仏」を重視しています。仏に護られていることを知ったうえで家業に励めば極楽浄土への道が開かれるという教えになります。この点で「今を生きる」という事を重視する日蓮との争いが絶えなかったのかもしれません。

 

来迎寺はとにかく緑に囲まれた静かな寺院でした。

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反対側の山を越えるとそこはもう北鎌倉の建長寺になります。

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御朱印は参道の途中にある寺務所で頂けます。書き手の方がいらっしゃらなかったので書置きでした。

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繊細な書体の御朱印を頂きました。

 

◆湘南鎌倉四大寺院の一つ光明寺の記事

minamimachida0706.hatenablog.com

◆来迎寺の次にお参りした薬師ヶ谷の覚園寺の記事

minamimachida0706.hatenablog.com

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グランベリーモール建替工事の進捗状況②(平成29年5月)

東急田園都市線南町田駅前のショッピングモール「グランベリーモール」の建替え及び周辺地域の再開発工事の進捗状況です。

駅前のフェンスに開業時のパースが貼りだされました。

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ともかく一日も早く完成してもらいたいと切実に思っております。現状では不便でしょうがありません。

 

以前東急ストアがあった場所です。

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駅前地区はほぼ更地になったと言っていいでしょう。

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前回残っていたmont-bell部分もなくなりました。

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残っている建物はほとんどなくなったと思います。

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ここは以前本屋や家具屋があった場所だったと思います。

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いつも出入りしていたケーズデンキ前の入り口から見た状況です。

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鶴間公園と田園都市線の間に道路を通す工事も本格化しました。

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閉店前

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現状

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まだまだ辛抱の日々が続きます。

 

平成29年4月の状況

minamimachida0706.hatenablog.com

グランベリーモールの閉店・建替えにより街が大きく変わるという記事

 

minamimachida0706.hatenablog.com

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アイリッシュウィスキーのタラモアデューは甘くクリーミーな味わいだった

今回はアイリッシュウィスキーのタラモアデューをご紹介します。

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世界5大ウィスキーといえばスコッチ、バーボン、アイリッシュ、カナディアン、ジャパニーズです。しかし日本ではジャパニーズ、スコッチ、バーボンが主流でアイリッシュとカナディアンについてはかなりマイナーな存在になっているのではないかと思います。これまで相当な量のウィスキーを飲んできた私でも実はアイリッシュは今回が初めてで、カナディアンは1回飲んだものが不味くてそれっきりになっています。

 

ウィスキーの語源である「ウシュクベーハー」はアイルランド語で「いのちの水」を意味します。1172年にアイルランドに侵攻したヘンリー2世の記録に「島民たちが我が国の酒より美味い酒を飲み、それをウシュクベーハーと呼んでいる」という記述があるようで、ウィスキーの起源は実はアイルランドであるという説も有力なのだそうです。

アイリッシュウィスキーは発芽していない大麦、小麦、ライ麦を大麦麦芽で糖化・発酵させるのですが、これは麦芽の量に合わせて税金がかかるイングランド麦芽税対策から始まりました。そして大麦麦芽の乾燥にピートを使っていないためスモーキーさが全くなく口当たりが良いことが特徴となっています。19世紀に入り早期に醸造・蒸留産業が確立したアイルランドではウィスキー産業が巨大化し、ピートを燃料として小規模で生産するような状況になく、イングランドから大量に運ばれてくる石炭を使用するようになったからだといいます。

 

アイルランド中央部のタラモアでマイケルモーリーにより1829年にウィスキーの製造が始まりました。1897年に工場を継承したダニエル・エドモンド・ウィリアム(Daniel・Edmond・Williams)によりタラモアデューの開発が始まりましたが、デュー(DEW)は「露」であるとともに自らの名前の頭文字からとりました。

 

いよいよアイリッシュデビューです。まずはストレートから。

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確かにスモーキーさは全くありません。やや甘くクリーミーな味と香りで大変に口当たりのいいウィスキーです。 

 

次に水で割ります。あわせる水はトップバリュー天然水です。

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まずはトワイスアップです。

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水を足すことにより柔らかい味わいになりました。滑らかに喉をくぐるのを感じます。香りが爽やかになり、舌に沁み込むような甘さを感じました。スモーキーさが無い分口の中の香りが柔らかく感じます。

 

次に氷を入れたハーフロックです。

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氷を入れるとそれまであったクリーミーさが飛んでしまったようですが、それなりにいけます。さっぱりとしたカクテルのような味わいでした。 

 

初めてのアイリッシュウィスキーでしたが大変に飲みやすかったと思います。もう少し飲んでみたいと思わせるウィスキーでした。

 

◆1,000円台のスコッチウィスキーで最もおすすめのティーチャーズの記事

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◆1,000円台のジャパニーズウィスキーで最もおすすめのブラックニッカスペシャ

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【御朱印】浅草神社・三社祭記念御朱印を頂くには日焼け止めも必要かもしれない

5月19日(金)から21日(日)までの期間に浅草神社三社祭が開催されますが、期間中限定の記念御朱印が頂けるという情報を入手したので早速行ってきました。ツイッターというものはこういう点で大変に役に立つものだと改めて思います。

 

これまで上神明天祖神社、子安神社、下谷神社と大行列を経験してきましたが、限定御朱印には「平日だから大したことないだろう」「小さな神社だから大丈夫だろう」といったことが全く通用しないことをその度ごとに思い知らされてきました。今回は三社祭開催中の浅草神社ですから混んでない訳がありません。それなりの覚悟と備えをして浅草に向かいました。

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銀座線の浅草駅を下りた時点で既に大混雑していました。恐らく雷門から仲見世通りなんか通っていたら前に進まないでしょう。まずは御朱印を確保することが第一ですから一本横の道(メトロ通りというらしい)を通って浅草神社に向かいました。

 

西暦628年に隅田川で漁をしていた兄弟の網に仏像がかかり、その兄弟の主人が自宅を寺に改め自らは出家して供養したことが浅草寺の始まりですが、この三人を三社さまとして祀ったのが浅草神社です。三社祭とはこの三人の伝説に由来する祭りなのです。

予想はしていましたがものすごい人出でした。

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基本的に御朱印はお参りを済ませてから頂きますが、今日はそれどころではありません。

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御朱印所にたどり着きました。行列が複雑な流れになっています。

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記念御朱印では書置きは無く御朱印帳への直書きのみで、御朱印帳は一人一冊限定です。

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時刻は12時56分、腹を括って行列に加わりました。

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こういう行列に並ぶ際は事前に手洗いを済ませておくことと読みかけの本を持参するようにしています。今回は安藤達朗著「いっきに学び直す日本史」で、読み切ったら皆様にもご紹介したいと思っています。尚、今回は天気の具合から帽子とタオルも用意しています。 

 

どうやら行列の中間点で冷たいお茶を頂けるようです。

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二日目は町内神輿連合渡御となっています。浅草寺本堂裏の広場に集結した各町内会の神輿が一基ずつ浅草神社でお祓いを受け、それぞれの町会に向かう様子が行列の中からも見ることができました。

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お茶のゾーンにたどり着きました。ここまでで30分以上経過しています。

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炎天下からようやくテントの下の日陰に入ることができました。ここから進み方が速くなりました。

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御朱印帳を預けて番号札をもらいました。ここまでほぼ50分でした。

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出来上がるまでの待ち時間を聞くと1時間くらいとのことでしたので、その間にともかく何か食べておきたいものです。こういったお祭りの時私はいつもお好み焼きです。

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境内社の被官稲荷社です。「被官」は出世を意味するそうです。

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三社祭の本社神輿です。最終日の宮出しの後西部、東部、南部に分かれて各町会をまわります。

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御朱印帳のみ、一人一冊限定」とは転売防止策だろうと予想していましたがやはりそうでした。これだけ問題になってもやはり不心得者は絶えないようです。

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御朱印の転売に関して京都の粟田神社宮司様にお話を伺う機会がありましたが、御朱印はお参りをした証であり「代行屋や転売屋」を通して入手したものは趣旨が違うという事を私からも改めて強調しておきたいと思います。

「御朱印」転売に神社から切実なお願い―― 貼り紙なぜ? 神社に聞いた - ねとらぼ

再び御朱印所の前に戻り番号を呼ばれるのを待ちます。

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予想より早く受け取ることができました。トータルで約1時間20分待ちでした。

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浅草神社の名所である相合傘をした夫婦狛犬(写真左手奥)の周辺は手頃な日陰となっており、疲れ切った人たちの休憩所と化しています。

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あわせて浅草寺もお参りしましたが、本堂の前は大変なことになっていました。

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明日は最終日でいよいよ本社神輿各町渡御がありますからなお一層の人出があることでしょう。夏場の限定御朱印は炎天下での行列の覚悟が必要です。それなりの覚悟と備えをもって限定御朱印をいただきましょう。

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日焼けをした腕がかゆくてたまりません。夏場の限定御朱印には日焼け止めも必要かもしれません。

 

◆行列嫌いの私がそれでも並んだ記事

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【御朱印】光明寺の大殿内は写真撮影可だった

妙本寺から始まった鎌倉の大町・材木座エリアの巡礼も補陀洛寺を終えいよいよゴールの光明寺が間近となりましたが、朝からぶっ通しで歩き続けてきたためここで小休止することにします。光明寺付近まで来ると材木座海岸が間近になりますが、ここで海を見ながら食事ができる食堂に入りました。

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鎌倉幕府の成立以降街を都市化するためには大量の物資を運び込む必要がありますが、ここは三方を山に囲まれた場所ですので水運に頼るほかありません。しかし鎌倉の海は遠浅であるためそのままでは大きな船が入ることができないのです。そのために日本最古の人工の港湾施設が作られたのがちょうどこのあたりでした。

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矢印の部分が人口島である和賀江島です。ここに全国各地から石を運び込んで埋め立て、防波堤の機能も備えた港を築いたことが街の発展につながりました。現在ではほとんど水没してしまいましたが、鎌倉を語る上では欠かせない場所なのです。材木座という地名はここが建築用木材の集積場となったことから生まれたと言います。

 

今話題のフライボードをやっていましたが、なかなか上手いものでした。ちなみに手前にある漁船のあたりの水面上に石がごろごろしていますが、これが和賀江島です。

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このような風景を眺めながら週替わり定食を食べました。湘南エリアの海岸線で食事をする場合空を飛んでいる鳶に注意が必要なのですが、こちらでは屋根があるためその点は安心です。

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一休みしたらいよいよ光明寺に入ります。

1495年に創建され寛永年間(1624年~1628年)に再興された総門です。

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鎌倉に現存する最大規模を誇る山門です。もともと鶴岡八幡宮にあったものを1847年に移築しました。

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荏柄天神社をご紹介した際に触れましたが、かつては鶴岡八幡宮で工事がある度にそこで発生する廃材を他の神社で活用することが当たり前のように行われていました。1316年に鶴岡八幡宮の本殿として建てられたものが1622年の建て替えの際に解体されて荏柄天神社の本殿として移築され、鎌倉最古の建築物とされています。

「天照山」の扁額は後花園天皇の筆によるものです。

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1698年に建立された大殿です。現存する木造の古建築では鎌倉一の大堂で国の重要文化財となっています。

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光明寺は浄土宗の大本山で、円覚寺建長寺遊行寺と並んで湘南鎌倉四大寺院の一つに数えられています。

浄土宗三祖の良忠が鎌倉入りするのに合わせ幕府第4代執権の北条経時が1240年に佐助ヶ谷に蓮華寺を開いたのが始まりとされ、1243年に現在の場所に移され光明寺に改称しました。

その後歴代執権の帰依を受け、七堂伽藍を整え関東における念仏道場の中心となります。江戸時代になると徳川家康により浄土宗の関東十八檀林の筆頭に定められました。

 

寺社において堂内は撮影禁止というのが当たり前ですが、光明寺ではなんと「大殿内写真撮影可」となっています。

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有難く撮影させていただきました。

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御本尊の阿弥陀如来像です。寶戒寺や九品仏の浄眞寺と同様に心行くまで拝むことができます。柔らかい表情が印象的でした。

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大殿南側の三尊五祖の石庭です。

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三尊とは、極楽浄土の阿弥陀仏とその脇士たる観音・勢至の二大菩薩を表し、五祖は浄土教を説法流布された釈尊(印度)善導(中国)法然・鎮西・記主(日本)の浄土宗五大祖師を示します。

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大聖閣を望む記主庭園です。

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どこかで猫の鳴き声がすると思ったら池の向こう側にいました。光明寺は猫寺としても知られているようです。

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開山である良忠上人と歴代住職を祀る開山堂です。良忠が鎌倉入りしたことにより浄土宗が関東に広がったと言われています。

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御朱印は寺務所で受け付けています。

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湘南鎌倉四大寺院に相応しい格式のある御朱印を頂きました。

 

光明寺のことは実は最近まで全く知らなかったのですが、想像していた以上に素晴らしい寺院であることに驚かされました。立派な寺院建築や美しい庭園を鑑賞し、優しい表情の仏像を拝むことができます。そして堂内の写真も撮ることができます。今後折に触れて来ることになるような気がしました。それにしても鎌倉は奥が深い街です。

 

◆災厄に遭いすぎて「竜巻寺」とまで呼ばれた補陀洛寺の記事

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◆筆者が自信を持ってお勧めする覚園寺の記事

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【御朱印】補陀洛寺は「竜巻寺」と呼ばれるほど災厄に遭い続けた

妙本寺に始まって大町エリアから材木座に向かって寺社をまわりましたが、いよいよ後半に入り長勝寺の次に補陀洛寺をお参りしました。

補陀洛寺は1181年に源頼朝が打倒平家を祈願するために「怪僧」文覚を開山として建てた寺院です。

 

長勝寺までは要所要所にあった案内板が姿を消しスマホのGPS機能を頼りに何とかたどり着きましたが、ここが本当に寺院なのか何度も確認しました。

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よく見ると左側に源頼朝の祈願所であることを示す石柱が建っています。

文覚は頼朝のブレーン的な存在の僧として知られています。もともとは武士でしたが袈裟御前という既婚女性に恋をしてしまい、夫を殺そうとして屋敷に侵入するものの誤って袈裟御前を殺してしまいます。彼女の菩提を弔うために出家した文覚は各地で荒行を重ねて京都に帰ってきましたが、この時に神護寺への勧進を強訴したことで後白河法皇の怒りを買って伊豆に流されてしまいました。しかしここで平治の乱で敗れて配流されていた源頼朝と出会うことになります。

文覚は頼朝に天下の情勢を説明し、打倒平家のために挙兵することを説きました。話の最中に大きな包みからドクロを取り出し、これは頼朝の父である義朝の遺骨だと述べた逸話も残っています。これにより挙兵を決意した頼朝は最終的に平家を打倒して天下を統一し、それに伴い文覚は幕府の要人として大きな影響力を持つことになるのです。

 

創建当初の補陀洛寺は七堂伽藍を構えた大寺院でしたが、度重なる火災や竜巻の被害にあい本堂を残すのみとなり、別名「竜巻寺」とまで呼ばれています。その唯一残った本堂も関東大震災で倒壊し、現在の建物は翌年再建されたものです。

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「補陀洛(ふだらく)」とは梵語のボータラカを音写したもので観世音菩薩の浄土を示す言葉です。本尊は平安末期の作である十一面観世音菩薩像で、他にも多くの仏像が安置されていますが、これまで何度となくあった火災や竜巻にも焼けずに残りました。

 

境内には「市瀬正毅先生を偲ぶ」という石碑がありました。

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1949年に湘南高校夏の甲子園に初出場初優勝の快挙を成し遂げた際の野球部長だった方のようです。湘南高校と言えば横浜翠嵐高校、希望が丘高校と並んで神奈川の県立三大名門校と呼ばれるほどの進学校ですが、そのような高校の野球部が甲子園に出場してしかも優勝するなど今後は二度とないでしょう。

ちなみに現在の東大野球部のエースでプロからも注目されている宮台投手も湘南高校出身です。

 

御朱印所は本堂を右手に進み、突き当りを左に曲がった奥にあります。

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伝統を感じさせられる御朱印を頂きました。

頼朝の挙兵から天下統一により成り上がった文覚の運命は頼朝の死により急転し、朝廷内の派閥洗いに巻き込まれて佐渡に流罪となります。赦免されて京都に戻りますが今度は後鳥羽天皇を批判したことが謀反とみなされ配流先の対馬に向かう途中で命を落としました。何度も火災や竜巻の被害に遭った補陀洛寺の運命とどうしても重なってしまいます。

 

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